若者の終わり
なんか、10連休最終日の今、猛烈にもう若者の時代は終わった感ある。もう若い感じの楽しいことは、終わりにせなならん、終わって然るべき感ある。良いように言えば、大人になった感。もう大人だ。しゃんと、しゃんとして暮らすのみだ。
今ここ
今ここ感があるっちゅうのは、何よりも大事かもしれんなとうすうす、実感伴って気づいてきた。今!ここ!
そんな今ここを閉じこめたくて、桜の塩漬けに挑戦。堤の八重桜を拾うのも、ザルいっぱいのそれを洗うのも、あまり他人とは共有しづらい今ここ私だけの遊びだった。できあがったそれはおむすびにして出かけたい。そう言えば、おむすびにも今ここ感ある。つまりそれは幸福。
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和田さんのお式前、ぼーっとセンチメンタルよお!卒業してからの方がすっかり長くなったけど、おめでたいぐらいいつまでも大学同期がすきすぎ。年に数回みんなに会う度に、脳内タイムスリップしていつまでも甘く苦くて愛しい記憶に満たされる。贅沢な麻薬だ〜
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25歳の青年たちの最近どう?トーク聞きながら微睡むのよい。彼らは一見似てないタイプの二人だけどお互い思い合ってる感あるので、遠巻きにいて心地がよい。
もう25歳とまだ25歳の狭間で揺れながら気張り続ける彼らを間近にして、すっかり姉の心持ち。自戒の念も込めて、がんばれがんばれ。
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何ができるわけでもないが、今日の日を平々凡々と過ごしてしまった自分を悔いる。朝新聞各紙を並べて読んでみたとき、トイレにこもって数分twitterを眺めていたとき、あの頃毎日感じていた、悲しみや弱さに共感し、実態の見えない大きな何かに苛立ち、解決法など途方も見当たらない無力さに悲観する、そういう気持ちに襲われた。「世界を変える」が局所的に流行語になった翌年。世界は変えなければならないと本当に思っていたし、「変える」という抽象的で根本的なことが、革命や戦争などなしにいつかふいに成し遂げられると薄らぼんやりと思っていた。まして未曾有の大震災、さぞかし色んなことが、ガラッと大きく「変わる」んだと思っていた。これは悲観や諦めの言葉ではない。