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何ができるわけでもないが、今日の日を平々凡々と過ごしてしまった自分を悔いる。朝新聞各紙を並べて読んでみたとき、トイレにこもって数分twitterを眺めていたとき、あの頃毎日感じていた、悲しみや弱さに共感し、実態の見えない大きな何かに苛立ち、解決法など途方も見当たらない無力さに悲観する、そういう気持ちに襲われた。「世界を変える」が局所的に流行語になった翌年。世界は変えなければならないと本当に思っていたし、「変える」という抽象的で根本的なことが、革命や戦争などなしにいつかふいに成し遂げられると薄らぼんやりと思っていた。まして未曾有の大震災、さぞかし色んなことが、ガラッと大きく「変わる」んだと思っていた。これは悲観や諦めの言葉ではない。