ReBuilding Center Japan のカフェのこと

クリスマスの日に、ReBuilding Center Japan に行った。諏訪のまち、車で通りがかっただけだけど、初めて訪れてかなりディープなまちだなと思った。あまり詳しくはないけど、大きな神社仏閣のあるまち特有の一体感とおおらかさ昭和初期の栄華の面影残るディープさあった。秩父とか伊豆とかに似てた。

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ReBuilding Center(以下リビセン)そのものについては、たぶん既に多くの人が考えを巡らせているだろうので省略。カフェ部分についてだけ気づきをメモする。簡単に忘れたくないそれ。

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トイレの手洗いに小さなおしぼりがたくさん積んであった。ちょっといいホテルのトイレなんかにあるような光景だが(それよりは家庭的なサラシを縫ったもの)、少し飲食店で働いたことのある人なら容易にわかると思うけど、これはものすごく手間暇がかかる。代表のアズノさんにどうしてかと尋ねたら「だって紙で手を拭くの嫌じゃん」と。嫌だよ。私も紙で何かを拭くのは嫌。例えば何かをこぼしたとき、そこに居合わせた人が瞬時にティッシュをシュッシュッと出すあの音は本当に嫌いだし、例えばオフィスのトイレで、備え付けられた紙で手をふいて、それを瞬時にポイってするのも、夕方すぎてゴミ箱いっぱいになった丸まった紙を見るのも嫌。嫌だけども、そんなことはしょうがない嫌な気持ちなんかないものとしているし、百歩譲ってまた自分だけで暮らし始めたらティッシュ導入しないと思うけれど、オフィスに居たらみんなと同じようにするし、仮に私がまたカフェをやることになったとしたら、カフェのトイレといえばのなんかあのザラザラした紙と、適当な見栄えのするケースと、なるべく放っておいても大丈夫な容量のゴミ箱を設置していたと思う。

ちょっとゴミのくだり熱が入りすぎた。閑話休題。それが不特定多数の他人との接点になるというだけで、忌み嫌っていたはずの世の当たり前(手軽でクリーンなもの)を、特段の考えなしに提供しようされようとしていた自分に気づいてショックを受けつつも、おしぼり一つでそれに気づかせてくれたリビセンの、余分のない、思想の塊みたいな空間の力の余韻にじわじわと浸っている。気持ちのよくないことはしたくない。人とものと世界とのつながりみたいなもの、簡単に切って捨ててはだめだ。

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あの場所でカフェはあくまでリビセンに”併設された”カフェだったし、違和感も期待もなく訪れたら、彼らが人の営みと空間にかける思考の深さのようなものを全身で体感して、ボディブローのようにじわじわと感動している。寒い諏訪盆地の冬をあたためる、中心に据えられたペチカというロシア式の暖炉のような暖房器具。少ないメニューでキッチンは忙しすぎず、カウンター越しに来訪者が気軽にスタッフに話しかけられる(これは文化発信拠点のリビセンには重要)。古材を買いに来た人たちの作戦会議にぴったりな大きめテーブル。どこまで意図しているかわからないけど、思慮に富んだ、それでいて研ぎ澄まされたカフェだった。

それにしても改めてカフェとカレーの相性の良さよ。薄々は気づいてはいたけど、いつかのときのために、来年はもっとカレー研究(作って食べる)をしたいと思う。ちょっと立ち止まりたい年末にいい小旅行だった。クリスマスプレゼントのような魔法がかった時間だった。