営み

仕事と個人の営みの線引きに悩む冬が、続いている。

去年思い切ってはじめた家に仕事を持ち帰らない生活は、思いの外かなりストレスフリーで、もしかしたら性に合ってるのかもしれない。けれども一方で、仕事と個人の営みと、線を引かない方が自分の在り方には合っているとも思う。

仕事だから頑張るとか、やり切るとか、仕事だからこんなもんかとか、全部をこなす能力のない私は混乱する訳で。

余暇として取り組んでいる同窓会の準備への心地よい全力投球とか、なんだろうなこれは。頻度の問題か、作業量の問題か。

生きることは何かを営んで、誰かと分け合うことであろうのに、誰かと何かを分け合う、助け合う、その前提のルール、マナーやからくりから零れ落ちてしまい、時折ひどく落ち込む。落ち込むときがある。そういうときは、コーヒーを飲むか、アルコールを飲むか。そういう装置が存在するこの世界を愛しく思う。

同窓会の準備と称して、ダラダラ時間を共有し、お酒ばかり飲む日が続いている。そんな日々に、学生時代のボーナスステージをもらったと思って、どっぷり浸っている。短い期間ではあるが、我々は多分な活力を分け合っている。お金では換算できないこの営みをなんと呼べばいいのだろうか。しょうもなさ、どうしようもなさを晒す相手のことは友達と呼ぶことした。