梅仕事のはじまり

大玉村で浩子さんと一緒に梅の収穫をした。梅仕事を去年は平日にみんなでやっていて、その様子を私は会社のトイレで開いたSNSを通じて見ていたので、ようやく念願が叶った格好。

 

彦太郎さんから、浩子ちゃん(姪)のところの梅が落ちはじめているからもぎどきだと聞いて、取らせてほしいと言いに行くと、(今度はなんだと恐らく思っただろうが)浩子さんはいいよ言って、いつものように道具から何からを段取りしてくれた。

 

ビニールシートを広げたいので、その前に、地面に落ちてしまった梅を綺麗に掃除した。既に木の下一帯に実が落下しており、ゴミ袋いっぱいになるまで熊手でそれらを集めて捨てた。

 

梅を取る方法は昔から棒で枝を叩くんだ、それしか知らない、と浩子さんは言った。手伝ってくれた友人が枝を叩いて、それを私と浩子さんで拾う作業が続いた。「器量のいい梅だけ選ばんしょ」とのこと。穴が空いたり樹液らしきが出たりしているものは鳥が食べたりしているので容赦なく放った。そのあと、浩子さんが棒を持った。「枝打ちも兼ねてるから」と、バシバシ叩いた。

 

掃除のところから合わせて、ものの20分そこいらで、バケツ1.5杯分ぐらいの梅の収穫が完了して、作業を終了した。バケツ1杯分は塩水に一週間つけて、このあと芳子さんと一緒に梅干しにする作業に移る。残りは東京に持ち帰って、よく大阪の祖母が作ってくれたように、梅ジュースにしようと思う。

 

今回驚いたのは、あまりにたくさん梅の実がなっていたことだ。私たちは木のせいぜい1/4ぐらいの範囲で、その日取りどきの梅を落としたにすぎなくて、木にはまだまだたくさんの実がなっている。なるほど通りで、昔から「梅仕事」と呼んで、夏前に一年分の梅干しをたんと仕込んでいた訳だ。梅の木は、一家に一本か二本あれば十分で、梅干しは家族の食卓に欠かせないものとなる。大玉村にいると、なるほど通りで、と日本人の暮らしや食事の必然性に気づく瞬間は少なくない。芳子さんは、朝ごはんに梅干しを食べないことには一日が始まらないと言っていたし、これのおかげで健康な気がするんだあ、と言っていた。御歳82歳。

 

まだ木にたくさん残っている梅は、今週末の滞在中にまた収穫して、カフェの分の梅ジュースを仕込もうと思っている。