大玉村と藍のこと

掌を真っ青に染めていた藍がおおよそ取れてしまって、少しさびしい気がしている。爪はまだ少し青い。村で2日間、見聞き体験して感じたことも、同じように薄れてしまわないうちに。

 

福島のこと、放射能、村の暮らし、お年寄り、建築、いろいろと要素が多く、例によって消化不良中ではあるが、ひとまず一番手近で重大発見だった、お直しの素材としての藍について。

f:id:hsm2:20160814214256j:image

とかく村のお母さん達が圧倒的だった。おそらく「何か染めたい白いものを持ってこい」という呼びかけがあったのだろう。Tシャツ、ハンカチ、ブラウス、帽子、ありとあらゆる ”長年身につけて飽きたor黄ばんでしまったもの” をほいほいと染めて、割にご満悦の表情で持ち帰る様。白Tを新しく購入して挑んだ私、完敗である。お直しに染料、、、知識としてはあったけど、完全に失念してた。ぴったりじゃん! 気軽な藍染、、持ち物総藍色化、、、これは探求したい。村の人たちの経験に基づいた軽やかな創意工夫、ものとの付き合い方も、もう少し観察したい。

f:id:hsm2:20160812225354j:image

参加したプロジェクト、歓藍社ではその試みとして「近い未来の大玉村に当たり前のように存在する、地域に馴染む生活の場を想像すること。ひとまずそれを小さな絵で描いてみること」という標語が掲げられている。小さな絵とは。村で描かれる小さな絵とはどれも、こう、人の尊厳や歴史文化を大切にした素朴で穏やかなそれになることが十二分に予見される滞在だった。母のような父のような安達太良山に見守られ、どこまでも続く水田が美しい村。気立てがよくて創意工夫に富む農家を中心とした村の人たち。おおよそお年寄りと呼んでいいであろう彼らがこれまで、何を大切にして、何を悔やみ、少しばかり何を生み出そうとして、めいめい試みに協力をくださっているのか、ひょうひょうと、しかと、聞いておきたいなと思う。それで、私もいくらか小さな絵を描きたいなと思う。